ブログタイトル変更

◇このブログのタイトルを変えました。これまで「鈴木裕之の日常」だったタイトルの「日常」にカギ括弧をつけただけです。

◇ふだん仕事で埋没している日常は、忙しいためにアップすることが出来ない以上、結局アップする記事は「非日常」ばかりになってしまうのです。しかし、非日常もまた日常、日常もまた非日常というわけで(私にはどちらもでよいのですが)、結局、カギ括弧にしてお茶を濁すことにしました。

◇ふとこれまでのブログを振り返ってみると、海外に出張だか遊びだかに行ってばかりの人みたいに見えてしまうので、「これが日常だなんて少し嫌味だな」と反省したわけです。深い意味はありません。

ボストンで見た景色‐2

◇ボストンでは、ハーバード大学とMITのキャンパスを見学してきました。それぞれの大学は地下鉄でわずか2駅の距離です。それぞれの学生がどれほど交流しているのかはわかりませんが、今回の滞在中に、Edxプロジェクトが発表されたことについても、さもありなんという感じがします。

◇ボストンは、町全体が落ち着いていて、やはりニューヨークと比べて学ぶのには適した環境です。ハーバードの生協の中にある本屋は、カフェもあり、歩き疲れた体を休めるのに最高でした。クラムチャウダーがお勧めです。

ボストンで見た景色‐1

◇アムトラックに乗って、ニューヨークから一路ボストンへ向かうことにしました。当初飛行機が速くていいかなと思っていたのですが、前もって予約しておかないと直行便がうまく取れないことがわかりました。アムトラックはその点よいです。朝6時20分に出て、10時過ぎにボストンに到着します。そうは言っても片道4時間近くかかるので、直前まで行こうかどうしようか迷ったのですが、よいアイデアを思いつきました。

◇それは、「溜まっているメールの業務を徹夜で片付けて、行きの電車で寝てしまう」という手です。実際には4時間も寝れませんでしたが、メールの業務は片付き、帰りの電車では、こんな風にブログを書いて過ごしています。車内は快適と言えば快適ですが、細かい振動が多く、パソコンを打つ身には少し大変です。座席のテーブルではなく、膝の上に置いて打ち込むことで何とか書けています。日本の電車・バスはやはり優秀です。振動が少なく快適です、

◇写真はアムトラックの中の様子。電源をとるアウトレットがあり、WiFiも完備しています。

ニューヨークで見た景色‐3

◇街を歩いていたら、鳴り物とシュプレヒコールが響いてきて、たまたまデモ隊に遭遇しました。どこからともなく人が集まってきて、あっという間に膨れ上がったという感じです。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損・・・といった、お祭りに近いノリでした。

ニューヨークで見た景色‐2

◇日曜日のユニオンスクエアパークは、フリーマーケットで賑わっていました。写真のパフォーマーは演奏の腕前は大したことなかったけれど、ピアノの足にタイアをつけて台車にしてしまっているというアイデアが素敵です。

ニューヨークで見た景色‐1

◇今NYに来ています。

◇この男の人は、9・11メモリアルの壁を拭きながら、「あの日」がいかに凄惨なものであったかについて、記憶を風化させないように、語り部として生きています。かつてWTCがまだあった時の写真や崩壊した直後の写真などを見せながら、道行く人に熱く、語り聞かせています。

IB Japanese 『友達』安部公房

◇IB Japaneseでは、PoetryやDramaが、Prose fictionと並んで一つのジャンルとして重視されています。2011年度以降に新しくなったIB Japanese:Literatureにおいては、上記3分野に加えて、Prose non-­fictionも避けては通れないジャンルになりました。これについてはいずれ書くとして今回はDramaというジャンルについて少し述べてみます。

◇ホメーロスやシェークスピアを持ち出すまでもなく、西洋におけるPeotryやDramaの歴史的意義は疑いようもありません。それは、個人的な娯楽として存在し得る小説などが持ち得ない、共同体がまとまるための役割を有しているからでしょう。さらに、韻律があることも、視覚ではなく聴覚が知的活動の中心であった時代に、大きな役割を果たしていたに違いありません(シェークスピア作品がBlanc Verseという一種の韻律を持った劇であることは有名です)。

◇では、現代における演劇の役割とは、どういうことなのでしょうか。いわゆるナレーターという存在のない、舞台上で演じることを前提とするDramaは、小説よりも制約の多いジャンルと言ってよいでしょう。ある作家がそのDramaという形式を選ぶとき、Prose fiction(例えば小説)を選ぶこととどのように異なるのでしょうか。

◇安部公房には、「砂の女」という小説の傑作があり、これもIB Japaneseの作品リストには含まれているのですが、特撮でも使わない限り、舞台では再現しづらい設定となっています。それに対して、「友達」では、舞台は主にアパートの部屋や公園といった至極日常的な場であり、その日常性が、見知らぬ集団が一人暮らしの男の部屋を占拠していくという非日常性な状況を浮き立たせる構造になっています。

◇いわば、常識的なセッティング(場面設定)があるから、非日常的な状況がくっきりと明確に伝わってくる仕掛けなのです。それは同時に、Dramaの舞台設定の日常性が、状況の非日常性を、カムフラージュしているとも考えられます。福島第一原発の事故の模様をお茶の間のテレビを通して見ている私たちのようなものと言ったら飛躍しすぎでしょうか。

◇いや、飛躍してよいのだと思います。民主主義の限界について議論する一方で、私たちは、こういう文学的な思考実験を多いに参照し、飛躍するべきだと感じます。『友達』から私たちが学ぶことは、多数者や世間の隣人愛が時に暴力的であること、私たちの社会においては、不条理も文脈によって道理になっていくこと、など様々あります。ただし、解釈だけでは到達できないことは、そのような状況を変えるためにどう行動を起こすかなのでしょう。その力が文学にあるかないかということまでは、IB Japaneseでは問われていません。

 

海外在住日本人と中国人の違い

◇海外出張に行って改めて感じたのは、中国人は個人としてお金を持っていることです。会社経営者や商売をしている人がサバイバルしています。それに対して、日本人の場合は、お金を持っているのは会社で、個人はその恩恵に浴しているに過ぎない場合が多いのです。

◇日本の駐在員はよい住宅に暮らし、子供によい教育機会を与え、会社が貸与している自家用車に乗っていたりしますが、それらは自分の財産ではありません。会社に所属することによってもたらされているベネフィットに過ぎないのです。

◇会社に依存せず自分の力で生きようとする現地の日本人は、いわゆる「現地採用」という枠の中で、能力とは関係のない給与体系の中に封じ込められています。国内の就職ランキング等でも、大企業の人気がますます高まっていて、能力のある若者が安定志向が進んでいます。(大学3年生に、就活についての取材をした記事を書いたのでこちらもご参照ください。→就活の功罪

◇中国が何でも良いわけではなく、格差社会を礼賛するわけでもないですが、個人の原動力が企業の論理に絡み取られているのが日本の問題点ではないかと感じます。首都圏の満員の通勤電車に耐えられる能力は、企業の中でサバイバルする能力とどこか重なって見えてしまいます。

シンガポール出張で見た景色

◇シンガポールには、10年ほど前に住んでいました。見慣れた景色で気が緩んだのか、1枚も写真を撮らないで帰ってきてしまいました。もっとも、写真を撮るような観光地にはまったく行かず、懐かしい食べ物を味わい、なじみの場所に顔を出しただけですが・・・。

◇オイスターオムレツはKLで食べたので、シンガポールでどうしても食べたかったのがラクサです。知り合いの駐在の方に会員制ゴルフクラブのテラスに連れて行ってもらい、やや高級なラクサを堪能しました。これでシンガポールに来た目的の半分は遂行しました。
◇観光地のクラークキーにあるCrazy Elephantという、かつてよく飲んでいたパブは、まだ存在していました。John Cheeというギタリストが経営し、シンガポールのブルースマン達が出演するパブです。日曜の夜はJam Sessionがあるので、よくギターを弾かせてもらっていたのです。前回の出張から5年ぶりくらいですが、John Cheeと、ハモニカのKelvinは、私を覚えてくれていました。苗字が有名なMotor Cycle ブランドと同じなので、覚えやすいのです。今回は、駐在して3年ほどというドイツ人ギタリストとスイス人ドラマー、それにKelvinと一緒に20分ほど演奏を楽しみました。国際都市シンガポールならではの雰囲気が感じられて大好きな場所です。

KL 出張で見た景色

◇クアラルンプールには、何度か訪れているのですが、これまで市街観光をしたことがありませんでした(ホリディでマレーシアに来るのであれば、ふつうはKLよりもリゾートの島を選びますね)。

◇2007年にできたらしい、ブランドショップばかりが集まっているパビリオンというショッピングセンターを覗いてきました。丁度旧正月に時期だったため、飾りつけも派手。パビリオンの中のショップは中国経済に引きづられてずいぶん景気が良さそうです。

◇また、現地で長年暮らしている知り合いに、観光客では見つけられないフードコートに連れていってもらいました。オイスターオムレツとチリクラブ(Crab=蟹です)、ワンタンスープにサテーなどなど。懐かしい味を堪能しました。料金はもちろん・・・・・激安です。

◇高層ビルやブランドショップでは先進国と同様の消費が盛んになっている一方で、ローカルなものはまだまだ安価です。しかし、フードコートで食べることと話を楽しんでいる人たちの表情からは、格差に苦しんでいるというより、多様なライフスタイルの選択肢があるという、一種の豊かさが感じられました。