哲学的対話の必要性

◇最近の出版状況を見ていると、「哲学」とか「思考」という言葉をタイトルに入れた書籍が目立つ。特にビジネス書において顕著だ。グローバル化が進むにつれ、日本流儀のビジネス常識では通用しなくなりつつあるということだろうか。お互いに腹を割っていれば何とか分かり合えるさと思っているのは日本人特有の感覚で、相手はビジネスをする上で「分かり合う」ということの必要性をそもそも感じていないかもしれない。そんな違和感から哲学の必要性に向かうのではないかと勝手に夢想している。

◇こちらは教育関連の書籍であるが、マシュー・リップマンという「Philosophy for Children (P4C)」の創始者の本を、例によって斜め読みしている。

◇探求の共同体(原著タイトル「Tinking in Education」では、批判的思考と創造的思考の相反する性質が書かれていて興味深い。ニュアンスが分かりやすい英文の方を引用しておく。

Critical thinking often moves in the direction of the construction of algorithms that eliminate the need for judgement, while creative thinking may move in the direction of heuristics such that all that counts is success and not the means by which it is achieved. Algorithms, in the extreme, represent reasoning without judgment, while heuristics, in the extreme, represent judgment without reasoning. (p.275)

◇当然、すぐれた教師はこの二つの側面をうまく統合していくことになる。

「ペルセポリス」マルジャン・サトラピ著、 園田 恵子訳

Part1のTranslation(外国文学)でマンガを選ぶ生徒は多い。というか、文字をあまり読みたくないという生徒には、「マウス」か「ペルセポリス」をお勧めしている。マウスについては、以前の投稿でご紹介した。

今回はペルセポリスについてご紹介しよう。

「ペルセポリス」は、イラン国内のフランス式インター校で教育を受けていた女の子が、イスラーム革命以降に起こった身の回りの生活の変化や、母国を離れて暮らしたヨーロッパの生活を描いた作品である。ペルセポリスというのは「ペルシアの都」という意味と「都市を破壊する」という二つの意味があるらしいが、この作品においては、世界遺産のペルセポリスを指しているわけではい。

マンガとはいえ、イラン周辺の中東の現代史が一般庶民からの視点で描かれていて、イスラームについての基本的理解が乏しい私にとって、様々な示唆を与えてくれる作品であった。

IB Japanese のExamが終了

◇先週金曜日にPaper1、そして今週月曜日(昨日)にPaper2が終了した。今年は7名ほどのスカイプ受講生がいて、それぞれの選択した作品に合わせた対策をするのが大変だったが、生徒からのフィードバックを聞く限り、なんとか対策は役にたったようである。

◇IB Japanese:Literature の評価において、最終試験が占める割合は、Paper1が20%、Paper2が25%である。2年間の学習成果の約半分がこの2つの試験によって問われるのだから、ここを念入りに対策しておくかどうかが最終スコアに大きく影響する。

◇ところが、Paper1もPaper2も論述式の問題で、おまけに、文中に書かれていることだけではなく、自分の解釈を加えていく「評論タイプ」の問題なのである。何かを暗記していたからといって得点の上昇が期待できるわけではない。常に「正解」がある「国語」に慣れている生徒にとって、こういうタイプの問題は非常に苦手だ。どうしても「正解」という権威にすがろうとするところをどう飛び立たせるかが指導の胆となる。つまり、自分で考えるしかないなと覚悟を決めてもらうことが大事なのである。

◇そのためには、指導者は教えすぎないこと。もっと言えば、教えないことこそが大切なのだ。なんて無責任な指導者だと思われるかもしれないが、今のところそれがIB Japaneseの指導の極意だと思っている。