キャロルとダウンタウンブギウギバンド

南林間ハイダウェイにて、元キャロルのギタリスト内海さん(中央)がアコースティックブルースを披露。元ダウンタウンブギウギバンドのベーシスト新井さん(右)が、ギターで友情参加。アコースティックなベースを渋く弾いているのはハイダウェイのお抱えベーシスト浜田さんです。

かつて本牧のゴールデンカップから、横浜のR&Bが生まれました。時代錯誤と言われるかもしれませんが、今やHideawayはかつての大物たちが気軽に演奏をしてくれています。基地が近い街にはその手の店が栄えるのですね。

「ルイジアンナ」や「ファンキーモンキーベイビー」などの昔懐かしい曲がブルースバージョンで蘇っていました。

 

 

 

IB Japanese 「銀河鉄道の夜」

 昨日は海外のインター校に通っている男子生徒と遠隔授業を実施しました。
 この作品は名作であることは間違いありませんが、一度ストーリーを追っただけではその良さがよく分かりません。その男子の読後感もしっくりしないものであったようです。
 「やまなし」や「なめとこ山の熊」などにも描かれているように、生命が他の生命の犠牲の上に成り立っているというモチーフは賢治の作品によく表れてきます。その世界観を理解した上で読まないと、「ほんとうの幸」がリアリティーを持たないかもしれません。つまり、直線型ストーリー志向の読み方では「ふーん」で終わってしまいます。
 読み返して細部を読みこむほど凄い作品だと感じます。夢から目覚めたジョバンニは、旅をする前と比べてどのように変化したのか、来週生徒がコメンタリーを提出してくれることになっているので、どういう解釈をしてくるのか楽しみです。

「分かり易く」伝えるということ

「分かり易い」ことと「子ども向け」であることは、必ずしも同じではありません。

「分かり易い」ことは低級であることとも違います。

この短いアニメーションは原子力発電の仕組みを非常に分かり易く伝えていると思います。

httpv://www.youtube.com/watch?v=cnjGYHOePu0&feature=youtube_gdata_player

相撲観戦

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知り合いのご好意で枡席から観戦させていただきました。

テレビで観戦するのに慣れているため激しい取り組みの後についスローモーションを期待してしまう自分に気づかされます。

ライブは1回限りだからこそ集中するし、記憶にも刻まれるのですね。

すれ違う力士がつけている鬢つけ油の香りや、テレビには決して映らないであろう、若手力士と若い女性が楽しげに立ち話している姿など、様々なディテールが勝敗以上に印象に残ります。

最後は下町の風情を楽しみながらビールという定番で締めました。

『サンデル教授の対話術』 マイケル・サンデル/小林正弥 著

「哲学は私たちを慣れ親しんだものから引き離し、悪い市民にする」という一節にハッとさせられました。

もちろん、ここで「悪い市民」というのはレトリックですが、「善良な市民」とか「小市民」などという紋切り型のイメージで「市民」を固定化して捉えていた自分に気づかされます。

社会を維持する最低限のルールは守るにしても、「変だ、おかしい」と感じることに声を上げないと本当の「市民生活」はやってこないし、声を上げた以上は批判にさらされる責任を引き受けないといけません。

そこの覚悟がないと「対話」は単なるスタイルや流行にとどまってしまいますね。

5月5日 ライブ告知

明日は日吉NAP でアコースティックライブをやります。

「フラネム」という二人組ユニットで、夕方6時スタートです。

お近くにお住まいの方、よろしければお立ち寄り下さい。

『日本の「安心」はなぜ消えたのか』 山岸俊男 著

表題の本の出版は2008年ですが、2011年度一橋大帰国枠入試の小論文で、同じ山岸俊男氏の『信頼の構造』が出題されていたこともあり、再読しました。山岸氏の著作では、『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)がよく知られています。

日本人の「お上意識」や「空気を読もうとする態度」を考える上でヒントになると思い、パラパラとページを繰っています。「よそ者と身内」に対する意識の違いは、国会での与党と野党、あるいは与党内の対立図式を思い起こさせます。

アメリカでも、民主党VS共和党はありますが、オバマ大統領がオサマ・ビンラディン殺害を発表した後の議員たちのスタンディングオベーションを見ていると、やはり日本の政治家が国会でしている原発をめぐる議論とは違うと感じます。

責任追及と責任逃れに終始する国会のやり取りを見ていると、そもそも日本に民主主義が馴染むのかどうか、少なくともアメリカ型を目指しても無理だろうという気がしてきます。

若者の結婚観と日本の経済状況

昨日はアメリカに10年以上暮らしている高校生と小論文の授業を行いました。

問いは新聞記事とグラフを参考にして、2003年の調査と2008年の調査で、特に若者の間で結婚した方が良いと考えている人が増えているのはなぜかというもの。さらに、そういう状況にもかかわらず現実には結婚しない男女が増えているのはなぜか、と矛盾点についての設問が続きます。

アメリカに住んでいるということも関係あるのでしょうが、日本のバブル崩壊後の経済状況についてはかなりの解説が必要です。彼らが生まれたのはバブルが崩壊した後ですから、不況とか失われた20年とかいうことの実感はありません。

格差社会とかワーキングプアということも実感はないでしょう。経済的に割と恵まれている家庭で育っているためか、私から見ればおっとりしている生徒が多いのです。したがってあまり熱く説明してしまうと、自分が全共闘世代のようなトーンになっていたのではないかと後で反省します。

否定からではなく、ニュートラルな位置から考えることの大切さを逆に教わっている気がします。