IB Japanese 「グレートギャッツビー」

◇とあるインターナショナルスクールに通っている生徒が、ぜひ読んでみたいと選んできました。いわずと知れたフィッツジェラルドの名作です。私自身もはるか昔、大学生時代に授業で読んだことがあります。今は村上春樹さんの翻訳版が出ていて、これがまた非常に読み易い。

◇村上春樹さんと言えば、「風の歌を聴け」とか「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」などの著作が、印象深くて当時からフィッツジェラルドっぽくて素敵だと思っていましたが、みるみるメジャーな存在になっていくことで逆に自分は遠ざかってしまったのかもしれません(へそ曲がりな奴ですね)。

◇今回生徒と授業を進めていく中で、ギャッツビーの人生がどのように描かれているかに注目しました。視点人物でナレーターであるニックから見えているギャッツビー、そしてミス・ベイカーの話から明らかになる過去のギャッツビー、さらに最後に登場するギャッツビーの父が思い出として語る、少年時代のギャッツビー。キャラクターの役割を分析することで、作品が立体的に見えてきます。面白い気づきを得ることができました。教えているようで同時に学んでいるのですね。生徒に感謝!

◇大恐慌前の、華やかなアメリカの雰囲気を冷ややかに眺めるフィッツジェラルドのまなざしは、不況にあえぐ今の時代にこそ味わい深く迫ってくるように感じます。

「宮台教授の就活原論」 宮台真司著

◇「すぐには役立たない就活マニュアル」という最終章の見出しが物語っているように、マニュアルを求めてしまう社会状況を批判的に浮き彫りにしながら、「うまく生きる」知恵を提示しようとしている書です。

◇「ひとかどの人物=スゴイ奴」が大勢いた頃に麻布中高に在籍した著者ならではのエピソードが盛りだくさん語られています。そういえば、私が某中学受験専門塾の仕事に関わっていた1990年代中ごろ、受験生(の保護者)の志向が少し変わったと感じられた時期がありました。東大合格者数における私立高校の、公立に対する圧倒的優位が話題になり、東大を初めとする難関大学への進学実績が私立中学の唯一の価値であるかのように一部の親に見えてしまった時代です。

◇麻布はそのような風潮を物ともせずに、校風を維持し続けました。その結果「自由すぎる」麻布を敬遠した保護者も多くいたと記憶しています。あれから20年近くが経過して、当時の空気は、今度は会社選びという場で繰り返されているように見えます。「無難」や「安定」にすがろうとする気持ちが、むしろリスキーだということを、自分も子を持つ父親としてよくよく考えないといけないなと感じます。

『一般意志2.0』 東浩紀著

「一般意志は政府の意志ではない。個人の意志の総和でもない。そして単なる理念でもない。一般意志は数学的存在である」

◇ルソーの『社会契約論』に対する東氏による解釈は痛快です。これまで得体の知れない感じがつきまとっていた「一般意志」がすっきりと頭に入ってきました。

◇特殊意志と全体意志を、ベクトルとスカラーの比喩で説明していたことが、私には大きなヒントになりました。一般意志はすなわち方向を持ったベクトルの和であり、全体意志というのは、方向のないスカラーの和であると。

◇そのように考えてみると、特殊意志がみんなで議論して「一般意志」になる必要は当然なく、それぞれが勝手なことを言っておればよいと気楽になれますね。その集計はネット技術がしてくれるのですから。

◇ちょっと連想したのが、英作文の指導でよく利用していることです。今や、ある言い回しが文法的に正しいかどうかを文法書によって判断(断罪)するよりも、Googleで検索する方が合理的です。件数を見ればどの程度「一般的」な表現かを知ることができますよね。正しいとか間違っているという捉え方ではなく、どの程度一般的なのか、例えば定冠詞よりも不定冠詞の方がこの表現では一般的であるようだなどといった、判断のための装置を手にしている時代なのです。

◇声の大きい人が勝つような「民主主義」ではなく、新しい時代の民主主義の可能性が見える書です。