『日本の「安心」はなぜ消えたのか』 山岸俊男 著

表題の本の出版は2008年ですが、2011年度一橋大帰国枠入試の小論文で、同じ山岸俊男氏の『信頼の構造』が出題されていたこともあり、再読しました。山岸氏の著作では、『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)がよく知られています。

日本人の「お上意識」や「空気を読もうとする態度」を考える上でヒントになると思い、パラパラとページを繰っています。「よそ者と身内」に対する意識の違いは、国会での与党と野党、あるいは与党内の対立図式を思い起こさせます。

アメリカでも、民主党VS共和党はありますが、オバマ大統領がオサマ・ビンラディン殺害を発表した後の議員たちのスタンディングオベーションを見ていると、やはり日本の政治家が国会でしている原発をめぐる議論とは違うと感じます。

責任追及と責任逃れに終始する国会のやり取りを見ていると、そもそも日本に民主主義が馴染むのかどうか、少なくともアメリカ型を目指しても無理だろうという気がしてきます。

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