「京都の寺社505を歩く」 槇野修, 山折哲雄 著

◇京都を訪れています。

 

◇幾つもの時代が重層しているこの古都を楽しむためには、豊富な歴史的知識か、優れたガイドが必要になります。今回私が頼ったのがこの本。Kindle版が出ているのが嬉しいですね。

 

◇ガイドブックがなければ決して立ち寄らなかったであろうお寺にも足を伸ばす気になります。そういった寺社は、観光客がほとんどいないので、ゆっくりとその佇まいを味わうことができます。いわゆる観光名所も、見どころや建造の歴史などが解説されていて、列を待つ間に知識を入れることができて重宝します。

 

 

『サンデル教授の対話術』 マイケル・サンデル/小林正弥 著

「哲学は私たちを慣れ親しんだものから引き離し、悪い市民にする」という一節にハッとさせられました。

もちろん、ここで「悪い市民」というのはレトリックですが、「善良な市民」とか「小市民」などという紋切り型のイメージで「市民」を固定化して捉えていた自分に気づかされます。

社会を維持する最低限のルールは守るにしても、「変だ、おかしい」と感じることに声を上げないと本当の「市民生活」はやってこないし、声を上げた以上は批判にさらされる責任を引き受けないといけません。

そこの覚悟がないと「対話」は単なるスタイルや流行にとどまってしまいますね。

『日本の「安心」はなぜ消えたのか』 山岸俊男 著

表題の本の出版は2008年ですが、2011年度一橋大帰国枠入試の小論文で、同じ山岸俊男氏の『信頼の構造』が出題されていたこともあり、再読しました。山岸氏の著作では、『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)がよく知られています。

日本人の「お上意識」や「空気を読もうとする態度」を考える上でヒントになると思い、パラパラとページを繰っています。「よそ者と身内」に対する意識の違いは、国会での与党と野党、あるいは与党内の対立図式を思い起こさせます。

アメリカでも、民主党VS共和党はありますが、オバマ大統領がオサマ・ビンラディン殺害を発表した後の議員たちのスタンディングオベーションを見ていると、やはり日本の政治家が国会でしている原発をめぐる議論とは違うと感じます。

責任追及と責任逃れに終始する国会のやり取りを見ていると、そもそも日本に民主主義が馴染むのかどうか、少なくともアメリカ型を目指しても無理だろうという気がしてきます。