IB Japanese 『老人と海』

◇World Literatureからこの作品を選ぶ生徒は結構大勢います。私はすでにストーリーも分かっているので、生徒のコメンタリーに絡む箇所だけをざっと確認しながら、斜め読みしていたのですが、新潮文庫版の訳者である福田恆存氏があとがきに書いている文章を読んで、新たな発見がありました。

◇福田氏は、ベルナール・ファイの『アメリカ文明論』を引き、アメリカ文学には過去という時間の積み重ねがない代わり、それを未来と空間によって補ったのだという主張を展開しています。そして、ヨーロッパ文学が、歴史の積み重ねと対峙する個性に向き合ってきたのに対し、アメリカ文学は、広大な空間の中に脱出するという希望にすがってきたのだと。

◇そのことが、ヘミングウェイなど、ロストジェネレーションの作家たちに自覚され、アメリカ文学が質的に転換されたという指摘です。IB JapaneseのWLに応用可能かどうかはさておき、アメリカとヨーロッパの社会を比較する上でとても参考になりました。

IB Japanese 「グレートギャッツビー」

◇とあるインターナショナルスクールに通っている生徒が、ぜひ読んでみたいと選んできました。いわずと知れたフィッツジェラルドの名作です。私自身もはるか昔、大学生時代に授業で読んだことがあります。今は村上春樹さんの翻訳版が出ていて、これがまた非常に読み易い。

◇村上春樹さんと言えば、「風の歌を聴け」とか「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」などの著作が、印象深くて当時からフィッツジェラルドっぽくて素敵だと思っていましたが、みるみるメジャーな存在になっていくことで逆に自分は遠ざかってしまったのかもしれません(へそ曲がりな奴ですね)。

◇今回生徒と授業を進めていく中で、ギャッツビーの人生がどのように描かれているかに注目しました。視点人物でナレーターであるニックから見えているギャッツビー、そしてミス・ベイカーの話から明らかになる過去のギャッツビー、さらに最後に登場するギャッツビーの父が思い出として語る、少年時代のギャッツビー。キャラクターの役割を分析することで、作品が立体的に見えてきます。面白い気づきを得ることができました。教えているようで同時に学んでいるのですね。生徒に感謝!

◇大恐慌前の、華やかなアメリカの雰囲気を冷ややかに眺めるフィッツジェラルドのまなざしは、不況にあえぐ今の時代にこそ味わい深く迫ってくるように感じます。

IB Japanese oral presentation

IB Japanese のpart 4ではoral presentation で2作品の比較を行うことになっています。

これまで「銀河鉄道の夜」を考察してきた生徒は、ジョバンニが孤独をどのように克服するかに焦点を定め、「智恵子抄」の詩編と比較して論じました。

分析力のある生徒で、原稿はなかなかのものですが、口頭で発表することを前提に書いていなかったため、聞き手に伝わりづらい面がありました。

そこだけ修正して本番に臨むようにアドバイスしました。

それにしても、比較する作品の組み合わせで多様な分析視点が得られるIB Japanese は、指導する側もたくさんのことに気付かされます。

IB Japanese 「銀河鉄道の夜」

 昨日は海外のインター校に通っている男子生徒と遠隔授業を実施しました。
 この作品は名作であることは間違いありませんが、一度ストーリーを追っただけではその良さがよく分かりません。その男子の読後感もしっくりしないものであったようです。
 「やまなし」や「なめとこ山の熊」などにも描かれているように、生命が他の生命の犠牲の上に成り立っているというモチーフは賢治の作品によく表れてきます。その世界観を理解した上で読まないと、「ほんとうの幸」がリアリティーを持たないかもしれません。つまり、直線型ストーリー志向の読み方では「ふーん」で終わってしまいます。
 読み返して細部を読みこむほど凄い作品だと感じます。夢から目覚めたジョバンニは、旅をする前と比べてどのように変化したのか、来週生徒がコメンタリーを提出してくれることになっているので、どういう解釈をしてくるのか楽しみです。

IB Japanese 「三四郎」授業

本日扱ったのは「三四郎」でした。三四郎と美禰子が二人きりになる場面、ストレイシープの言葉の意味を考えることに終始しました。こういう機微、特に三四郎のような晩生の男の子の心理を今 どきの女子高校生は、しかし見事に理解します。「草食系」ですねと一言でズバっと切り捨てます。 それにしても、この時代の大学は9月入学なんですね。再読すると色々と発見もあります。