IBにおける評価(2)

IBでは、PYP/MYP/DPを実践する学校(IB校)に対して評価に関する考え方の指針を提示している。いくつかあるうちの二つを挙げてみる。

学校は、評価に関する考え方、方針、および手順を学校コミュニティー全体に伝えること

学校は、生徒に対して自分の学習成果物の評価に参加し、その評価を振り返るための機会を与えること

前者では、次の3項目の評価が含まれ、その評価方針を学校コミュニティーが恊働して作成するプロセスを重視している。

・評価目的(何をなぜ評価するのか)
・評価原則(効果的な評価を特徴づける要素は何か)
・評価実践(どのように評価するのか)

また、後者では、自己評価をするために必要となるメタ認知をどのように育成するかといったことについて解説をしている。

要するに、評価それ自体が目的(ゴール)ではないということ。評価を通して成長することが大切なのだという考えが明確に伝わってくる。

早稲田大学の帰国生入試

◇9月2日(月)早稲田大学の帰国生入試が実施されました。今年も受験する生徒の応援に出かけてきました。

◇海外での生活が長い生徒の中には、生まれて初めて受験というものを経験する者もいます。緊張というよりも舞い上がってしまい、ハイテンションになっていました。

◇心配性の保護者のようにずっと一緒にいるのも考え物ですから、受験予定者の顔を確認し、少し話をしたら、すぐに帰ってきました。あとは良い結果を待つばかりです。

上智大学海外就学経験者入試

◇今日は上智の帰国生入試が実施されました。教え子が何人か受験するので、四谷まで応援に行ってきました。

   

◇学科ごとに筆記試験と面接を課す上智大学の入試では、すでに帰国生入試が実施されている慶應や早稲田とは違う緊張感を感じるようです。それは、筆記試験当日に面接も行われるということ、また、同じ学科を志望するライバルたちの存在がはっきりと意識されることに関係しているのかもしれません。

◇面接を受けた後の生徒の反応は、質問に答えた自分の意見が、面接官の機嫌を損ねてしまったのではないかといった不安から、特に圧迫もなく軽い質問ばかりだったから、脈がないのではないかといった不安まで様々です。いずれにしても、安心材料よりは不安材料をたくさん抱えて戻ってきます。

◇合格を勝ち取る生徒は、「自分が上手くできたこと」よりも「もっと上手くできたはずのこと」に意識が向かうものですから、不安材料を抱えているのは良い兆候かもしれないと生徒を慰めています。

◇国際関係法学科を受験したある生徒によれば、小論文のテーマは、TPPにおける著作権問題だったとのこと。面接では、尖閣諸島をめぐる中国でのデモ活動から、ナショナリズムと国際法の関わりについて質問されたようです。上智に限らず、帰国生入試では面接で時事ネタを質問されることがよくあるので、入試当日のニュースまで要チェックです。

早稲田大学帰国生入試

◇本日は早稲田大学帰国生入試の筆記試験日です。4月入学のための帰国生入試は、毎年この早稲田が皮切りとなります。多くの帰国生が、予備校を越えて集う場所となっており、あちこちで久しぶりの再会を喜ぶ帰国生の姿が見られます。

◇私も教え子の緊張感をほぐすために、早稲田と上智の筆記試験日には毎年顔を出すようにしています。応援に行ったところで何が変わるわけでもないでしょうが、塾屋の習性でしょうか、生徒の顔を見ないと落ち着きません。それでも冬の受験応援に比べればまだ楽なものです。冬の朝、始発電車に乗るためにまだ暗い中を完全防寒して家を出るつらさを思い出します。応援は自由意思で行きたいものです。

 

若者の結婚観と日本の経済状況

昨日はアメリカに10年以上暮らしている高校生と小論文の授業を行いました。

問いは新聞記事とグラフを参考にして、2003年の調査と2008年の調査で、特に若者の間で結婚した方が良いと考えている人が増えているのはなぜかというもの。さらに、そういう状況にもかかわらず現実には結婚しない男女が増えているのはなぜか、と矛盾点についての設問が続きます。

アメリカに住んでいるということも関係あるのでしょうが、日本のバブル崩壊後の経済状況についてはかなりの解説が必要です。彼らが生まれたのはバブルが崩壊した後ですから、不況とか失われた20年とかいうことの実感はありません。

格差社会とかワーキングプアということも実感はないでしょう。経済的に割と恵まれている家庭で育っているためか、私から見ればおっとりしている生徒が多いのです。したがってあまり熱く説明してしまうと、自分が全共闘世代のようなトーンになっていたのではないかと後で反省します。

否定からではなく、ニュートラルな位置から考えることの大切さを逆に教わっている気がします。

冗談と民主主義

本日の小論文授業で扱ったテーマです。

アメリカ人は自由と民主主義の元祖だと思っているがゆえに、冗談が不必要だったが、日本では民主主義が実体化していないために冗談が生まれにくいという著者(辻井喬氏)の主張をふまえて考える問題(上智外イスパニア)。

「ゆとり」や「健康な批評精神」が失われているという指摘が解答の鍵となるでしょう。

冗談と「お笑い」の違いにも言及できますが、高級/低級みたいな議論になると、それこそ民主主義的ではありません。

600字という短い字数ですから深入りし過ぎずに書いてもらいました。