とりあえず夏期講習を乗り切りました

この2か月まったくブログを更新していなかったので、古い知り合いが気にしてくれたようです。ご無沙汰しておりました。

帰国生大学受験コースの授業、一般受験の大学受験夏期講習生、WEBでのIB Japanese指導、その他もろもろで平均睡眠時間は、受験生並みになってます。

せめて日曜日に寝だめができれば有難いのですが・・・。救いは、楽しく充実した仕事をさせていただいていることです。

しかし、なんとか一番忙しい時期は乗り切りました。これからはぼちぼち近況報告をいたします。

上海

わずか2泊の強行軍で行って来ました。前回の訪問から6年ほど経っています。明らかに違っているのはまずタクシーのモデル。前回の時は、塗装の光沢が落ちているようなのや、シートがへたっているタクシーが多かった記憶がありますが、今回は新しいモデルにしか乗り合わせませんでした。

対岸に浦東を望む旧租界の海外通り沿いは、ネオンの光が煌々と灯り、節電モードの東京とは対照的です。看板は韓国や中国企業ばかりが目立ちます。

知り合いに連れて行ってもらった和平飯店のジャズ生

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演奏は上海のレトロなイメージを見事なまでに再現していました。決して上手いとは言えない演奏は「まがい物」感にあふれ、最初は粗が気になるのですが、やがてそれは自らの歴史をもコピー商品としてしまう彼らの商業的強かさなのだと気付かされます。かなり高齢なメンバーを取り揃えているのも、過去を決して忘れまいとする民族的矜持の表れなのかと考えると、なんとも味わいのある演奏に感じられ、まんまと魔都の魅力に浸っておりました。

IB Japanese oral presentation

IB Japanese のpart 4ではoral presentation で2作品の比較を行うことになっています。

これまで「銀河鉄道の夜」を考察してきた生徒は、ジョバンニが孤独をどのように克服するかに焦点を定め、「智恵子抄」の詩編と比較して論じました。

分析力のある生徒で、原稿はなかなかのものですが、口頭で発表することを前提に書いていなかったため、聞き手に伝わりづらい面がありました。

そこだけ修正して本番に臨むようにアドバイスしました。

それにしても、比較する作品の組み合わせで多様な分析視点が得られるIB Japanese は、指導する側もたくさんのことに気付かされます。

キャロルとダウンタウンブギウギバンド

南林間ハイダウェイにて、元キャロルのギタリスト内海さん(中央)がアコースティックブルースを披露。元ダウンタウンブギウギバンドのベーシスト新井さん(右)が、ギターで友情参加。アコースティックなベースを渋く弾いているのはハイダウェイのお抱えベーシスト浜田さんです。

かつて本牧のゴールデンカップから、横浜のR&Bが生まれました。時代錯誤と言われるかもしれませんが、今やHideawayはかつての大物たちが気軽に演奏をしてくれています。基地が近い街にはその手の店が栄えるのですね。

「ルイジアンナ」や「ファンキーモンキーベイビー」などの昔懐かしい曲がブルースバージョンで蘇っていました。

 

 

 

IB Japanese 「銀河鉄道の夜」

 昨日は海外のインター校に通っている男子生徒と遠隔授業を実施しました。
 この作品は名作であることは間違いありませんが、一度ストーリーを追っただけではその良さがよく分かりません。その男子の読後感もしっくりしないものであったようです。
 「やまなし」や「なめとこ山の熊」などにも描かれているように、生命が他の生命の犠牲の上に成り立っているというモチーフは賢治の作品によく表れてきます。その世界観を理解した上で読まないと、「ほんとうの幸」がリアリティーを持たないかもしれません。つまり、直線型ストーリー志向の読み方では「ふーん」で終わってしまいます。
 読み返して細部を読みこむほど凄い作品だと感じます。夢から目覚めたジョバンニは、旅をする前と比べてどのように変化したのか、来週生徒がコメンタリーを提出してくれることになっているので、どういう解釈をしてくるのか楽しみです。

「分かり易く」伝えるということ

「分かり易い」ことと「子ども向け」であることは、必ずしも同じではありません。

「分かり易い」ことは低級であることとも違います。

この短いアニメーションは原子力発電の仕組みを非常に分かり易く伝えていると思います。

httpv://www.youtube.com/watch?v=cnjGYHOePu0&feature=youtube_gdata_player

相撲観戦

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知り合いのご好意で枡席から観戦させていただきました。

テレビで観戦するのに慣れているため激しい取り組みの後についスローモーションを期待してしまう自分に気づかされます。

ライブは1回限りだからこそ集中するし、記憶にも刻まれるのですね。

すれ違う力士がつけている鬢つけ油の香りや、テレビには決して映らないであろう、若手力士と若い女性が楽しげに立ち話している姿など、様々なディテールが勝敗以上に印象に残ります。

最後は下町の風情を楽しみながらビールという定番で締めました。

『サンデル教授の対話術』 マイケル・サンデル/小林正弥 著

「哲学は私たちを慣れ親しんだものから引き離し、悪い市民にする」という一節にハッとさせられました。

もちろん、ここで「悪い市民」というのはレトリックですが、「善良な市民」とか「小市民」などという紋切り型のイメージで「市民」を固定化して捉えていた自分に気づかされます。

社会を維持する最低限のルールは守るにしても、「変だ、おかしい」と感じることに声を上げないと本当の「市民生活」はやってこないし、声を上げた以上は批判にさらされる責任を引き受けないといけません。

そこの覚悟がないと「対話」は単なるスタイルや流行にとどまってしまいますね。

5月5日 ライブ告知

明日は日吉NAP でアコースティックライブをやります。

「フラネム」という二人組ユニットで、夕方6時スタートです。

お近くにお住まいの方、よろしければお立ち寄り下さい。

『日本の「安心」はなぜ消えたのか』 山岸俊男 著

表題の本の出版は2008年ですが、2011年度一橋大帰国枠入試の小論文で、同じ山岸俊男氏の『信頼の構造』が出題されていたこともあり、再読しました。山岸氏の著作では、『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)がよく知られています。

日本人の「お上意識」や「空気を読もうとする態度」を考える上でヒントになると思い、パラパラとページを繰っています。「よそ者と身内」に対する意識の違いは、国会での与党と野党、あるいは与党内の対立図式を思い起こさせます。

アメリカでも、民主党VS共和党はありますが、オバマ大統領がオサマ・ビンラディン殺害を発表した後の議員たちのスタンディングオベーションを見ていると、やはり日本の政治家が国会でしている原発をめぐる議論とは違うと感じます。

責任追及と責任逃れに終始する国会のやり取りを見ていると、そもそも日本に民主主義が馴染むのかどうか、少なくともアメリカ型を目指しても無理だろうという気がしてきます。