ロンドン出張で見た景色③

◇ロンドン市街は、自転車が結構走っています。日本でママチャリが歩道を行くのと違って、本格的なウェアに身を包み、ヘルメットを着けて車道を疾走しています。

◇五輪に向け、交通渋滞を緩和するために政府が推進しているらしいです。ロンドンには丘や坂道が少ないことも普及に一役買っているかもしれません。

ロンドン出張で見た景色②

◇ウェストミンスター寺院の中に足を踏み入れると歴史の重みに圧倒されます。

◇入口で音声ガイドを貸していて、たくさんあるチャペルや石碑の一つ一つについて説明が聞けるのは非常にありがたかったです。歴史の知識不足を補ってくれました。

◇知識の必要性に異存はありませんが、知識は、蓄積すること自体が目的なのではなく、想像を羽ばたかせるために大切な道具だなと改めて感じました。

ロンドン出張で見た景色①

◇セント・ポール大聖堂の脇に集団テント。反格差デモのロンドン版です。

◇テントには資本主義への抗議メッセージが書かれています。観光地の大聖堂横に抗議テントとは、なかなかのコントラストですが、大聖堂に抗議しているわけではなく、すぐ近くのロンドン金融街に向かうビジネスマンへのメッセージなのだとか。

◇一種のオブジェとでも言えそうな風景でした。

IB Japanese 『老人と海』

◇World Literatureからこの作品を選ぶ生徒は結構大勢います。私はすでにストーリーも分かっているので、生徒のコメンタリーに絡む箇所だけをざっと確認しながら、斜め読みしていたのですが、新潮文庫版の訳者である福田恆存氏があとがきに書いている文章を読んで、新たな発見がありました。

◇福田氏は、ベルナール・ファイの『アメリカ文明論』を引き、アメリカ文学には過去という時間の積み重ねがない代わり、それを未来と空間によって補ったのだという主張を展開しています。そして、ヨーロッパ文学が、歴史の積み重ねと対峙する個性に向き合ってきたのに対し、アメリカ文学は、広大な空間の中に脱出するという希望にすがってきたのだと。

◇そのことが、ヘミングウェイなど、ロストジェネレーションの作家たちに自覚され、アメリカ文学が質的に転換されたという指摘です。IB JapaneseのWLに応用可能かどうかはさておき、アメリカとヨーロッパの社会を比較する上でとても参考になりました。

初詣

◇新年があけました。今年もよろしくお願いします。

◇私は、大晦日の夜から元日未明にかけて、湯島天神に行ってまいりました。

◇昨年は、元旦の昼頃に行ったのですが、あまりに長い行列に途中で参拝を断念し、戻ってきた思い出があるので、今年はヒートテックで完全防護し、夜11時過ぎ頃境内下の階段に並びました。

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◇上野の大衆酒場と蕎麦屋でアルコールを入れてあったためか、思ったほど寒くはなく、さらに行列も案外短く、お参りは順調に完了。帰りも夜中のロマンスカーでスムーズに帰宅。まずまず滑り出しのよい新年となりました。

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IB Japanese 「グレートギャッツビー」

◇とあるインターナショナルスクールに通っている生徒が、ぜひ読んでみたいと選んできました。いわずと知れたフィッツジェラルドの名作です。私自身もはるか昔、大学生時代に授業で読んだことがあります。今は村上春樹さんの翻訳版が出ていて、これがまた非常に読み易い。

◇村上春樹さんと言えば、「風の歌を聴け」とか「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」などの著作が、印象深くて当時からフィッツジェラルドっぽくて素敵だと思っていましたが、みるみるメジャーな存在になっていくことで逆に自分は遠ざかってしまったのかもしれません(へそ曲がりな奴ですね)。

◇今回生徒と授業を進めていく中で、ギャッツビーの人生がどのように描かれているかに注目しました。視点人物でナレーターであるニックから見えているギャッツビー、そしてミス・ベイカーの話から明らかになる過去のギャッツビー、さらに最後に登場するギャッツビーの父が思い出として語る、少年時代のギャッツビー。キャラクターの役割を分析することで、作品が立体的に見えてきます。面白い気づきを得ることができました。教えているようで同時に学んでいるのですね。生徒に感謝!

◇大恐慌前の、華やかなアメリカの雰囲気を冷ややかに眺めるフィッツジェラルドのまなざしは、不況にあえぐ今の時代にこそ味わい深く迫ってくるように感じます。

「宮台教授の就活原論」 宮台真司著

◇「すぐには役立たない就活マニュアル」という最終章の見出しが物語っているように、マニュアルを求めてしまう社会状況を批判的に浮き彫りにしながら、「うまく生きる」知恵を提示しようとしている書です。

◇「ひとかどの人物=スゴイ奴」が大勢いた頃に麻布中高に在籍した著者ならではのエピソードが盛りだくさん語られています。そういえば、私が某中学受験専門塾の仕事に関わっていた1990年代中ごろ、受験生(の保護者)の志向が少し変わったと感じられた時期がありました。東大合格者数における私立高校の、公立に対する圧倒的優位が話題になり、東大を初めとする難関大学への進学実績が私立中学の唯一の価値であるかのように一部の親に見えてしまった時代です。

◇麻布はそのような風潮を物ともせずに、校風を維持し続けました。その結果「自由すぎる」麻布を敬遠した保護者も多くいたと記憶しています。あれから20年近くが経過して、当時の空気は、今度は会社選びという場で繰り返されているように見えます。「無難」や「安定」にすがろうとする気持ちが、むしろリスキーだということを、自分も子を持つ父親としてよくよく考えないといけないなと感じます。

『一般意志2.0』 東浩紀著

「一般意志は政府の意志ではない。個人の意志の総和でもない。そして単なる理念でもない。一般意志は数学的存在である」

◇ルソーの『社会契約論』に対する東氏による解釈は痛快です。これまで得体の知れない感じがつきまとっていた「一般意志」がすっきりと頭に入ってきました。

◇特殊意志と全体意志を、ベクトルとスカラーの比喩で説明していたことが、私には大きなヒントになりました。一般意志はすなわち方向を持ったベクトルの和であり、全体意志というのは、方向のないスカラーの和であると。

◇そのように考えてみると、特殊意志がみんなで議論して「一般意志」になる必要は当然なく、それぞれが勝手なことを言っておればよいと気楽になれますね。その集計はネット技術がしてくれるのですから。

◇ちょっと連想したのが、英作文の指導でよく利用していることです。今や、ある言い回しが文法的に正しいかどうかを文法書によって判断(断罪)するよりも、Googleで検索する方が合理的です。件数を見ればどの程度「一般的」な表現かを知ることができますよね。正しいとか間違っているという捉え方ではなく、どの程度一般的なのか、例えば定冠詞よりも不定冠詞の方がこの表現では一般的であるようだなどといった、判断のための装置を手にしている時代なのです。

◇声の大きい人が勝つような「民主主義」ではなく、新しい時代の民主主義の可能性が見える書です。

『国力論』 中野剛志著

◆TPP反対論者の中野氏の理論的背景がよくわかる本です。経済自由主義とマルクス主義という二つの政治経済学の間にあって、経済ナショナリズムという系譜は、これまでまともに論じられてこなかったという主張が書かれています。

◆経済ナショナリズムは、「一国の国富=貨幣の量」と考える重商主義と混同されがちですが、世界経済を「ゼロ・サム」ゲームと見なさない点において、また、保護貿易と産業政策を恒久的に肯定しているわけではないという点において異なるといいます。

◆アメリカ建国の立役者の一人であるハミルトンや、スコットランド啓蒙派のヒューム、さらにヒュームの盟友で、一般には経済自由主義者と考えられているアダム・スミスなど、これまで「経済ナショナリズム」という文脈で語られてこなかった「有名人」たちが、実はこの系譜に位置しているということを明らかにしつつ、「ステイツ」ではなく「ネイション」の統一と連帯の重要性を訴えています。

◆TPP賛成論者がその根拠とする自由貿易は、無制限に許すべきではなく、利潤の基盤である「ネイション」を優先させるべきであるということでしょう。もっとも、TPP絡みの中野氏の発言は、もっと強烈でインパクトがあります。

 

スティーブ・ジョブズ氏逝去・・・無念

◆アップル社の製品では、その昔Macintosh Classic II を購入しました。白黒の小さい画面だったけど、今では当たり前のマウスで操作する一体型PCで、余分なものが一切ついていないシンプルで可愛いデザインでした。当時付属されていたハイパーカードでプログラム作りにはまっていたのを思い出します。

◆天才の死は、後になってから、時代を画していたことがはっきりするものです。これまで、ロックミュージシャンやスポーツ選手や芸術家など、さまざまなジャンルの偉人が時代を画してきましたが、今回のジョブズの死は、“デジタル社会”の新しい夜明けにつながっていく気がしてなりません。

◆しかし、56歳はあまりにも若い・・・。ご冥福をお祈りいたします。