IB Japanese 受講生から 東大合格の報せ

本日3月10日は、東大の合格発表日でした。一般入試だけではなく、帰国生入試もこの日が発表。昨年5月の最終試験までIB Japaneseサポートを2年間受講していた生徒から、東大文科1類に合格したとの報せがありました。自分が教えていた生徒から合格の連絡を受け取るというのは、やはり嬉しいものです。

彼女が IB Japanese A(母語)で取ったスコアは最高ポイントである7。他の科目も概ね良いスコアを取っており、最終合計スコアは学校のPredicted Scoreより4ポイントも高かったとのこと。普段の授業以上に本場で実力を発揮するタイプだったということでしょう。

東大の帰国生入試は、1月の終わりに書類選考の結果がわかります。2次の筆記試験は、一般入試と同じ日程(試験内容は多少異なります)で実施され、さらにその10日ほど後に面接が行われます。

今年の文科1類の日本語小論文は、「たとえ難病を治すという目的があってもヒトの遺伝子組み換えは倫理的に許されない、禁止するべきだ」という見解について論評を加えなさい、というもの。コールバーグのモラルジレンマを想起させる出題です。その生徒は、人間の尊厳を傷つけるという理由で、遺伝子組み換えに反対の立場から書いたそうです。ルールの背後にある根拠を自分なりに見出し、普遍的原理を志向した点が評価され合格したのでしょう。

IB Japaneseであれ小論文であれ、こういう問いから議論が発展していくのは楽しいですね。当時ヨーロッパに住んでいたこの生徒とは、時差の関係もあり、日本時間の日曜夜によくスカイプでディスカッションをしました。文学作品の解釈について、いつもシャープな論評をしていたことが強く印象に残っています。

今受講中の生徒の中にも彼女に引けを取らないほどの作品解釈の力を発揮する生徒が何人かいます。古典文法は知らなくても、現代語訳で、枕草子や方丈記、おくのほそ道などを丸ごと読み、それらの作品の比較分析をせっせとしています。帰国生に英語力だけではない頼もしさを感じるのは、彼らがそういう学びをしているからなのです。

これからはしかし、国内の学びも変わっていくはずです。2020年の大学入試改革の目指す方向は間違いなく帰国生入試の方向に近いと言えます。

2月に発行されたこちらの本では、2020年大学入試のモデルとして、帰国生入試問題が数多く取り上げられています。今後どんな対策をしていいか分からないという人には一つの指針となってくれるでしょう。

 

 

IOC / IOPへの準備は万全ですか?

2016年5月に最終試験を控えるIBDPのJapanese A Self Taughtの受講生は、IOC(Individual Oral Commentary)とIOP(Individual Oral Presentation)が迫ってきました。

IOPの方ではプレゼンテーションの内容を原稿にして練習している人もいるかもしれませんが、本番では原稿を持ち込むことはできません。箇条書き程度のメモをもとに話の内容をまとめる練習をしておく必要があります。

少々たどたどしくても、伝えるべき内容が整理されていることが大切です。特に、オーラルの場合は、ESSAYなどとは違って、聞き手は内容構成を視覚的に確認することができません。内容をあまり入り組んだ構成にしないように配慮するとともに、「ここでのポイントは3つあります」「初めに○○について、その後に△△について触れます」などといったように、話の初めの部分で、伝える内容の構成をあらかじめ提示しておくと、分かりやすいプレゼンテーションになるでしょう。

また、IOCの方では、各ジャンルの5つの質問に対して、それぞれが全く重ならないような答えを準備しなくても大丈夫です。例えば、詩のstructure(構成)について答える内容と、内容を強調している技法について答える内容が、多少重なるのはむしろ自然なことです。ただし、出された問いに対して答えるという心構えは忘れないよう。二つの質問に対する答えが全く同じになるということはありえません。グッドラック!

 

 

 

 

TOK Essay の提出準備は順調ですか

明けましておめでとうございます。年末から年始の三が日はほとんど仕事をせず、久しぶりにゆっくり過ごしました。明日4日からは仕事モードです。

IBディプロマの2年目にいる人は、そろそろTOK EssayやExtended Essayの提出時期ですね。2016年5月最終試験の人のEssay提出期日は3月15日です。学校の方ではもう少し前倒しの締切日になっているはずです。早めに仕上げて提出するようにしましょう。

IB Japaneseを受講している生徒が、時々TOK EssayやEEについて質問をしてきます。ある程度のことまではIB Japaneseのサービスの延長として答えていますが、根本的な対策の場合は、 別途費用を頂いた上で短期集中の講座としてお引き受けしています。これから2か月余りの短期間で仕上げようと考えている人は一度ご相談ください。

Youtubeなどでも色々と解説があるようですので、参考にしてみると良いでしょう。下の動画はKnowledge Questionについて詳しく説明してくれています。

 

『国際バカロレアとこれからの大学入試改革ー知を創造するアクティブ・ラーニング』福田誠治著

2015年12月に出版された福田誠治氏の「国際バカロレアとこれからの大学入試改革」は、豊富な資料に基づいた、IBについての概説書です。日本の大学入試改革に触れているのは第1章のみで、第2章以降は、日本が学ぶべき教育のあり方がIB にあるという前提のもと、IBの歴史やカリキュラムの説明がなされています。

福田氏は都留文科大学の学長で、教育学者でもあります。2017年に国際教育学科を新設し、そこでIB教員の養成も行うことを想定しているのですから、この本を書くことが事前調査という意味を兼ねているのかもしれません。

個人的には、IBと日本の教育を一覧表で対比している部分(p 143)が、学習指導要領や教科中心主義、検定教科書の問題をすっきりと示しているようで気に入りました。つまり、日本では、カリキュラムの設計自体が「知識伝達型」になってしまっていて、教員が「受動的な学習者」として想定されてしまっていることが問題なわけですね。妙なところで納得してしまいました。

本書は、巻末の注釈における参考資料も充実しているので資料的意味は高いのではないでしょうか。ただし、大学入試改革についての即効的な知見を期待するとガッカリするかもしれません。

 

国際バカロレアのExtended Essay

先日IB入試で筑波大学を受験した生徒の面接指導をする機会があり、提出書類の一つであるExtended Essay(以下EE) の概要、そしてその元となるEssayを読ませてもらいました。

一人は、生物学のクラスで学んだことを応用して、身近な食品に含まれる脂肪と健康との関係について考察し、もう一人は、日本のあるエンターテイメント小説の文学的な意義について考察していました。

驚いたのはその内容のレベルの高さです。Essayと名付けられていますが、形式面と内容の深さは大学生の卒業論文と比べても遜色ありません。字数も英語で4000語(日本語では8000字)以内と、十分な準備をしないと書き切れない長さです。

当然、書くための方法が指導されないと、このレベルの論文は書けるようになりません。IBの凄いところは、こういった論文指導のための詳細なガイドが用意されていることです。このガイドは、従来英語などでしか読むことはできなかったのですが、最近文科省の国際バカロレア普及の動きの中で、日本語翻訳版が出されました。

この翻訳版を読むことは、IBを受講している生徒や保護者、また日本の中高の現場にいる先生方にも大きなヒントをあたえてくれると思われます。幸い、IB教育に関心を持つ人のために公開されていますので、一度入手して見ておかれることをお勧めします。資料公開ページはこちら

「マクベス」ー作品の時代背景

IB Japaneseには、外国文学(翻訳文学)のパートがある。自学生徒はここから2冊を選び、どちらかの作品について3000字以内のエッセイを書く。先日はスカイプで指導をしている生徒がマクベスを選択し、その作品の時代背景について調べてきた。さすがに古典中の古典だけあってネットには色々な情報が載っているようだ。英語でサーチすれば、英文学に関する情報は山ほど集まる。そういうわけで実在のスコットランド王マクベスや、シェークスピアが執筆したとされる時期のイングランドの王位継承にまつわるエピソードもたくさん調べてくれた。

調べることはよいことであるが、フィクションである戯曲と史実にあたかも関連があるかのように捉えてしまうと、かえって作品分析の邪魔になってしまうこともある。

テューダー朝からスチュアート朝時代にかけて、新旧宗派の対立や王位継承をシェークスピアがどのように見ていたのかは、非常に興味深いものであるが、それを分析の中心にしてしまうと作品分析の本質からは離れてしまう。そのあたりのバランスが大切である。

 

加藤周一著 『日本人とは何か』と森有正著『いかに生きるか』

IB Japaneseスカイプでの通信指導をしている生徒が、パート4で加藤周一『日本人とは何か』と森有正『いかに生きるか』を選んできたので、比較してプレゼンテーションをするためのトピックを一緒に考えてみた。

パラパラとページを繰りながら、私が気になってしまうのは、Ⅱ章の「天皇制について」であるが、生徒の方は、その章にはあまり興味が向かない様子。もっと庶民のことが書かれているところがないかと、「普通の日本人」が論じられている箇所を探していた。

基本的に私が担当するIB Japaneseサポートでは、Self taught(自学)をサポートするということにしているので、生徒自身の気づきを尊重している。私の方から「こうしなさい」的なアドバイスはしていない。今回は、生徒が共通点を探しあぐねていたので、共通点ばかりではなく、対照的な点に気をつけてみてはどうかなという手がかりのみを指摘して、次回までの宿題ということにした。

『いかに生きるか』の方は戦後30年経った時代に書かれている本だが、戦後70年を迎えた今の時代に読んでも内容はまったく古びていない。というか、日本の課題は相変わらず真の民主化だったり個人の確立だったりと、何も進歩していないことに愕然とする。

次回生徒とどんな対話ができるか楽しみである。

日本人とは何か (講談社学術文庫)  いかに生きるか (講談社現代新書)

 

哲学的対話の必要性

◇最近の出版状況を見ていると、「哲学」とか「思考」という言葉をタイトルに入れた書籍が目立つ。特にビジネス書において顕著だ。グローバル化が進むにつれ、日本流儀のビジネス常識では通用しなくなりつつあるということだろうか。お互いに腹を割っていれば何とか分かり合えるさと思っているのは日本人特有の感覚で、相手はビジネスをする上で「分かり合う」ということの必要性をそもそも感じていないかもしれない。そんな違和感から哲学の必要性に向かうのではないかと勝手に夢想している。

◇こちらは教育関連の書籍であるが、マシュー・リップマンという「Philosophy for Children (P4C)」の創始者の本を、例によって斜め読みしている。

◇探求の共同体(原著タイトル「Tinking in Education」では、批判的思考と創造的思考の相反する性質が書かれていて興味深い。ニュアンスが分かりやすい英文の方を引用しておく。

Critical thinking often moves in the direction of the construction of algorithms that eliminate the need for judgement, while creative thinking may move in the direction of heuristics such that all that counts is success and not the means by which it is achieved. Algorithms, in the extreme, represent reasoning without judgment, while heuristics, in the extreme, represent judgment without reasoning. (p.275)

◇当然、すぐれた教師はこの二つの側面をうまく統合していくことになる。

「ペルセポリス」マルジャン・サトラピ著、 園田 恵子訳

Part1のTranslation(外国文学)でマンガを選ぶ生徒は多い。というか、文字をあまり読みたくないという生徒には、「マウス」か「ペルセポリス」をお勧めしている。マウスについては、以前の投稿でご紹介した。

今回はペルセポリスについてご紹介しよう。

「ペルセポリス」は、イラン国内のフランス式インター校で教育を受けていた女の子が、イスラーム革命以降に起こった身の回りの生活の変化や、母国を離れて暮らしたヨーロッパの生活を描いた作品である。ペルセポリスというのは「ペルシアの都」という意味と「都市を破壊する」という二つの意味があるらしいが、この作品においては、世界遺産のペルセポリスを指しているわけではい。

マンガとはいえ、イラン周辺の中東の現代史が一般庶民からの視点で描かれていて、イスラームについての基本的理解が乏しい私にとって、様々な示唆を与えてくれる作品であった。

IB Japanese のExamが終了

◇先週金曜日にPaper1、そして今週月曜日(昨日)にPaper2が終了した。今年は7名ほどのスカイプ受講生がいて、それぞれの選択した作品に合わせた対策をするのが大変だったが、生徒からのフィードバックを聞く限り、なんとか対策は役にたったようである。

◇IB Japanese:Literature の評価において、最終試験が占める割合は、Paper1が20%、Paper2が25%である。2年間の学習成果の約半分がこの2つの試験によって問われるのだから、ここを念入りに対策しておくかどうかが最終スコアに大きく影響する。

◇ところが、Paper1もPaper2も論述式の問題で、おまけに、文中に書かれていることだけではなく、自分の解釈を加えていく「評論タイプ」の問題なのである。何かを暗記していたからといって得点の上昇が期待できるわけではない。常に「正解」がある「国語」に慣れている生徒にとって、こういうタイプの問題は非常に苦手だ。どうしても「正解」という権威にすがろうとするところをどう飛び立たせるかが指導の胆となる。つまり、自分で考えるしかないなと覚悟を決めてもらうことが大事なのである。

◇そのためには、指導者は教えすぎないこと。もっと言えば、教えないことこそが大切なのだ。なんて無責任な指導者だと思われるかもしれないが、今のところそれがIB Japaneseの指導の極意だと思っている。