海外生からの年賀メール

すっかりこちらのブログをご無沙汰しておりました。
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

IB Japaneseをかつて受講していて現在はドイツの大学に通っている大学生からメールで新年の挨拶が届き、あらためて海外でも新年を祝っている日本人がいることを意識しました。
私がその昔暮らしていたのは常夏のシンガポール、あるいは冬と夏が逆転する南半球のオーストラリアでしたから、正月らしさを感じるということはほとんどなく、せいぜい大晦日の紅白歌合戦をケーブルテレビで観ることで年末年始の雰囲気を無理やり感じようとしていた覚えがあります。

海外だとクリスマスや旧正月の方が長期の休暇となることが多く、日本のような年末年始の雰囲気を感じることは少ないのではないかと思いますが、休暇までグローバルスタンダードにすることもないでしょう。海外で働く日本人は年末年始に長期休暇を取って一時帰国をすることが、長く現地でサバイバルするためには必要だと思います。

IBにおける評価(2)

IBでは、PYP/MYP/DPを実践する学校(IB校)に対して評価に関する考え方の指針を提示している。いくつかあるうちの二つを挙げてみる。

学校は、評価に関する考え方、方針、および手順を学校コミュニティー全体に伝えること

学校は、生徒に対して自分の学習成果物の評価に参加し、その評価を振り返るための機会を与えること

前者では、次の3項目の評価が含まれ、その評価方針を学校コミュニティーが恊働して作成するプロセスを重視している。

・評価目的(何をなぜ評価するのか)
・評価原則(効果的な評価を特徴づける要素は何か)
・評価実践(どのように評価するのか)

また、後者では、自己評価をするために必要となるメタ認知をどのように育成するかといったことについて解説をしている。

要するに、評価それ自体が目的(ゴール)ではないということ。評価を通して成長することが大切なのだという考えが明確に伝わってくる。

IB における評価

IBディプロマの評価の仕組みは、日本の教育現場でも参考になる点がいくつかある。

中でも興味深いのは、学校内部で行う評価(Internal Assessment)とIB本部で行う評価(External Assessment)が分かれている点である。タームごとに渡される成績表は、基本的にInternal Assessmentである。最終スコアが確定するまでは暫定的な評価(Predicted Score)ということになる。

この仕組みでは、評価者である教師は、自分の評価の妥当性についてチェックを受けることになる。いくら生徒に良い評価を与えてそれによって人気を取ろうとしても、IB本部が出す最終スコアとかけ離れていては最終的に評判を落としてしまうわけだ。

一方、IB本部が出す評価もまた、生徒からのアピールによって評価し直すことがある。もっとも、再評価しても最初の評価が変わらない場合は手数料が発生するので、やみくもにアピールをするわけにはいかないのだが…。

評価するものが絶対者にならないよう配慮されているのだろう。

IB Japanese 受講生が驚嘆のスコア!

◇2013年11月にIBディプロマの最終試験を受けた生徒からお礼のメールが届いた。「おかげさまでJapaneseは7が取れ、全体のスコアは44でした。正直、Japaneseが一番不安だったので良かったです」という文面。私からすれば、スカイプ授業を行っている段階でJapaneseが最高グレードの7になるだろうことはほぼ予想していたので、Japaneseのスコアには驚かなかったが、驚嘆したのはトータルスコアの44である。海外で指導を行っていた16年前から今まで、IBを受講した生徒から毎年スコアを聞いているが、44というのは初めて。ちなみに45がIBDPの最高スコアである。日本人で40を超えるスコアが取れる生徒はほとんどいない。

◇少し前の話になるが、とあるインターナショナルスクールのカウンセラーから、IBDPコースの生徒の最終スコアと進学先大学の一覧表を見せてもらったことがある。42以上の生徒は、アメリカならIVY League、イギリスならOxbridge、あとは、生徒の出身国のトップ校がちらほらといった具合で、名門大学の名前がずらりと並んでいたのを思い出す。日本人生徒の名前はそのスコアレンジには見当たらなかった。リストのずいぶん下の方、30台後半にようやくTokyoやKeio、Sophiaといった名前とともに日本人がちらほらと見つかるくらいであった。

◇44のスコアを取った生徒は、中学1年生からニュージーランドに単身留学をし、6年間を過ごしてきた。オーストラリアやニュージーランドの単身留学生というのは、アウトドアを楽しむのんびりしたライフスタイルなどの影響で、受験勉強などにおいて不利だと考えられてきた面もあるのだが、考えを改める必要があるようだ。中学段階から留学してIBのようなガッチリとしたプログラムで学べるのであれば、かえって、勉強に集中できる環境だと言えるかもしれない。

◇HL/SLでそれぞれどの科目を選択したか、Extended EssayとTheory of Knowledgeの評価がどの程度だったかということもメールで教えてもらったのだが、詳細はいずれ、本人にインタビューを行うなどして、もっときちんとした形にして皆さんにお知らせしたい。

「マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語」 アート・スピーゲルマン著

◇ IB Language A (Literature)では、翻訳作品を2つ、リストから選ぶことになっている(以前はWorld Literatureと呼んでいたが、2011年以降にスタートした新しいIB Languageでは、Literature in Translationと呼んでいる)。

◇私がふだん教えているIB Japanese Aを自学している生徒の中には、IBディプロマをスタートしたばかりの段階で「罪と罰」のような大作を、大作と知らずに選ぶ生徒もいる。もちろん、それで最後まで読んでくれればこちらは一向に構わないのだが、期の途中で挫折し(というかIBディプロマの忙しさに気づき)、作品変更の相談を受ける場合も多い。そういう時にお勧めするのがこの「マウス」である。

◇何しろ漫画であるから、読むのに時間はかからない。1時間もあれば読み切ってしまう。ストーリーも表題からほぼ想像がつくので、時間を節約したい生徒にはうってつけである。

◇ユダヤ人の視点でホロコーストが描かれているにも関わらず、センチメンタリズムを排した冷徹なタッチであるのがこの作品の文学的評価を高めている理由の一つであろう。生徒がよく注目するのは、ユダヤ人がネズミ、ドイツ人が猫、ポーランド人がブタとして描かれている点である。ある民族を動物として戯画化するという手法は、解釈によっては差別につながりかねないので扱いが難しいけれども、当時多くのユダヤ人を抱えていたポーランドの状況を考えつつ、「追う追われる」という関係にある猫とネズミに関係のないブタを利用した作者の意図を考えてみるのも、エッセイのテーマとして面白いかもしれない。

IBの試験結果

◇IB Japaneseを指導していた生徒たちから、最終の試験結果報告がいくつも届きました。目標である7が取れたと大喜びの生徒もいれば、本当は7を目指していたけれど、残念ながら6だったという生徒もいました。概ね結果には満足しているようです。(満足している生徒が連絡をくれるのでしょうが・・・)

◇今年のIB最終試験は、新しいIB Languageになって初めての試験でしたから、傾向などの変化が気になりましたが、Paper 2の設問数が少し減った以外には大きな変化はなかったようです。

IB Japanese おくのほそ道

◇「海外生に古典は無理」と考えているとしたら、それは日本の国語教育に毒されているかもしれません。IB Japaneseでは、選択する作品に縛りがあり、ほぼすべての生徒が何らかの古典を選択することになります。ただしIBのLanguage Guideには「原文で読め」という縛りはありません。

IB Japanese 最終試験対策

◇ 国際バカロレアの2013年度最終試験が近づいてきました。Diploma Programを進めている生徒さんは、これまでにも増して課題をこなすのに忙しい日々を過ごしているのでしょうか。私が担当しているIB Japanese Aの生徒たちも、そろそろ IOCやIOPを終え、最終試験に向けて準備を開始しつつあります。

◇今年は担当している受講生が多いので、スカイプではなく、他のプログラムを利用してオンラインでの一斉授業を行う予定です。ここしばらく、そのツールを探していたのですが、電子会議室など、スカイプに類したツールは今たくさん出回っていて、その情報に追いつくのが大変でした。というのも、こういった情報のほとんどが英語で書かれたものだからです。日本語で書かれたものもなくはないのですが、大きい企業が開発したシステムが多く、その分利用料金も高くなっています。

◇改めて日本のシステムが世界で孤立しつつあることを痛感することになったわけです。TOEFLの大学入試への導入だとか、国内高校へのIB導入などが話題になっていますが、世界に伍していくためには、日本人の英語力を上げるといった発想だけでは到底追いつかないと感じます。日本にある優れたコンテンツやサービスを、世界に向かって戦略的に発信するというムーブメントを起こす必要があります。GLOBAL 30などのプログラムに予算を使うのであれば、外国人留学生向けに国際教養を教えるよりもジャパノロジーを扱えばよいと思うのですが、現状では、そういうプログラムはなさそうです。

◇IB Japaneseを指導することの方が、国内の大学受験生向けに現代文を指導することよりも面白いと感じるようでは、日本の国語教育の先行きは暗いですね。受験制度や学校教育のせいばかりにしないで、自分も発信しなければと思います。

IOCとIOPが近づいてきました

◇IBでJapanese AをSTで履修している生徒(2013年6月卒業予定)は、オーラルのテストが迫ってきたのではないでしょうか。私が教えている生徒も最近は頻繁にオーラルの練習を依頼してきます。

◇学校によっては、生徒に十分な説明をせず、生徒がどのようなプロセスで行われるのかを全然理解しないまま試験に臨もうとしている場合もあります。

◇Japaneseの先生がいなくても、コーディネーターやセルフトート担当の先生にどんどん質問をして、イメージをつかむようにしてください。進行や評価の仕方が分かってしまえば取り立てて不安に思うようなことはありません。

◇ぜひ良いプレゼンができることを願っています。

IB Japanese 『友達』安部公房

◇IB Japaneseでは、PoetryやDramaが、Prose fictionと並んで一つのジャンルとして重視されています。2011年度以降に新しくなったIB Japanese:Literatureにおいては、上記3分野に加えて、Prose non-­fictionも避けては通れないジャンルになりました。これについてはいずれ書くとして今回はDramaというジャンルについて少し述べてみます。

◇ホメーロスやシェークスピアを持ち出すまでもなく、西洋におけるPeotryやDramaの歴史的意義は疑いようもありません。それは、個人的な娯楽として存在し得る小説などが持ち得ない、共同体がまとまるための役割を有しているからでしょう。さらに、韻律があることも、視覚ではなく聴覚が知的活動の中心であった時代に、大きな役割を果たしていたに違いありません(シェークスピア作品がBlanc Verseという一種の韻律を持った劇であることは有名です)。

◇では、現代における演劇の役割とは、どういうことなのでしょうか。いわゆるナレーターという存在のない、舞台上で演じることを前提とするDramaは、小説よりも制約の多いジャンルと言ってよいでしょう。ある作家がそのDramaという形式を選ぶとき、Prose fiction(例えば小説)を選ぶこととどのように異なるのでしょうか。

◇安部公房には、「砂の女」という小説の傑作があり、これもIB Japaneseの作品リストには含まれているのですが、特撮でも使わない限り、舞台では再現しづらい設定となっています。それに対して、「友達」では、舞台は主にアパートの部屋や公園といった至極日常的な場であり、その日常性が、見知らぬ集団が一人暮らしの男の部屋を占拠していくという非日常性な状況を浮き立たせる構造になっています。

◇いわば、常識的なセッティング(場面設定)があるから、非日常的な状況がくっきりと明確に伝わってくる仕掛けなのです。それは同時に、Dramaの舞台設定の日常性が、状況の非日常性を、カムフラージュしているとも考えられます。福島第一原発の事故の模様をお茶の間のテレビを通して見ている私たちのようなものと言ったら飛躍しすぎでしょうか。

◇いや、飛躍してよいのだと思います。民主主義の限界について議論する一方で、私たちは、こういう文学的な思考実験を多いに参照し、飛躍するべきだと感じます。『友達』から私たちが学ぶことは、多数者や世間の隣人愛が時に暴力的であること、私たちの社会においては、不条理も文脈によって道理になっていくこと、など様々あります。ただし、解釈だけでは到達できないことは、そのような状況を変えるためにどう行動を起こすかなのでしょう。その力が文学にあるかないかということまでは、IB Japaneseでは問われていません。