ネルソン・マンデラ氏 死去

◇アパルトヘイトも南アフリカ共和国も、どこか遠くの出来事のように感じていた。今でもそうかもしれない。現代社会のシステムとは無縁のような感覚・・・。

◇しかし、ヨーロッパから見れば、南アフリカは歴史的にも地政学的にも、アジアより遥かに深い関係にあるし、だからこそアフリカの政治状況に敏感に反応するのであろう。

◇結局は欧米のメディアやフィルターを通してネルソン・マンデラの偉大さを理解するようなところが(少なくとも私には)ある。オバマ大統領をして「マンデラのいない過去数十年の歴史を想像するのが難しい」と言わしめた影響力からネルソン・マンデラの価値を値踏みするようなところが・・・。

◇Civil rights や Citizenship についての感覚が育っていないのかもしれない。抵抗するべき勢力がよくわからないのが日本という国のおかしなところだ。考えてみれば、アメリカの公民権運動などといった世界史的知識も非常に危うい。なぜ Civil rights に「公民権」などというよそ行きの訳語をあてたのであろう。Civil Warに至っては「南北戦争」だし・・・。

◇「市民」という言葉から毒気を抜いて、「善良なる」市民というニュアンスだけを残そうとする策略でもあるのではないか。だから、ネルソン・マンデラや、ガンジーや、キング牧師といった偉人の功績が今ひとつしっくり来ないのではあるまいかと勘ぐりたくなるほど、Civil disobedience的な概念にリアリティがないと感じてしまう。

◇だからというわけでもないが、「自由への長い道」を慌てて近所の図書館で借りて読んでいる。囚人になってすら、本来敵対する相手である看守を味方に引き入れようと説得を試みる姿勢など、決して派手ではないが地道に信念を貫くところは、確かにネルソン・マンデラの凄いところだ。しかし、教科中心の今の日本の教育システムでは、こういう偉人伝が担っていた価値観の伝達はほとんどできない。一人一人の先生の意識や、生徒の関心に委ねられている。グローバルな舞台で活躍するには、実はこういった教養こそが問題となるのに。

「30秒で学ぶ哲学思想」 編著 バリー・ローワー 監訳 寺田俊郎

◇この1冊で哲学の全貌を知ろうなどというのは土台無理だとしても、幅広い時代と領域からトピックが選りすぐられていて、考えをまとめる際の Reference として活用できそうである。例えば、「ラッセルのパラドックスとフレーゲの論理主義」「カントの定言命法」「ソクラテスの問答法」「ハイデガーの無」・・・といったように、哲学者の名前と概念がセットになっていることで、さらに深く調べる際のインデックスができるのがありがたい。

◇キンドルで英語版も併せて参照すると、さらに活用の範囲が広がるように思える。というのも各章についているGlossaryには、哲学で使われる基本的な用語の定義が書かれていて、これがまた思考を刺激するのだ。例えば、「論証」は、英語では “argument” であるが、 “A collection of premises offered in support of  a conclusion” とシンプルに定義されている。つまり、 premises を積み重ねて conclusion に至れば、それは “argument “だということが明確に分かるというわけである。 もちろん中にはpoorな argument もあり得るから、 口論という意味での “argument ” があることも腑に落ちてくる。

◇どのページからでも気ままに読めるのも良い。こういう読み方で哲学を気楽に話題にできる方が、眉間にしわを寄せて人生を論じるよりも、楽しい。

「状況に埋め込まれた学習」 ジーン・レイヴ、エティエンヌ・ウェンガー著

◇教育における「参加」ということの意味を考えているときに検索にかかってきた本。佐伯胖氏が翻訳していることも気になって、手にとってみた。

◇著者が用いている正統的周辺参加(Legitimate peripheral participation : LPP) とは、何とも分かりづらい概念であるが、中心的で安定的な価値に向かうのではなく、あらゆる可能性を秘めていて、多様な参加が有り得るという意味で「周辺」という用語を使用しているようである。

◇学習は「参加」であるということを主張しているという意味では、当初予想した内容であった。しかし、その「実践の共同体」が「教室」である必要がないという意味では、今自分が関わっている仕事に応用するにはラジカル過ぎると感じた。あくまでも現時点の私の「状況」での評価であり、もっと広い視野と長いスパンで考えれば、再読の必要に迫られる予感がするので、自分へのメモの意味でここに書いておく。

早稲田大学の帰国生入試

◇9月2日(月)早稲田大学の帰国生入試が実施されました。今年も受験する生徒の応援に出かけてきました。

◇海外での生活が長い生徒の中には、生まれて初めて受験というものを経験する者もいます。緊張というよりも舞い上がってしまい、ハイテンションになっていました。

◇心配性の保護者のようにずっと一緒にいるのも考え物ですから、受験予定者の顔を確認し、少し話をしたら、すぐに帰ってきました。あとは良い結果を待つばかりです。

IBの試験結果

◇IB Japaneseを指導していた生徒たちから、最終の試験結果報告がいくつも届きました。目標である7が取れたと大喜びの生徒もいれば、本当は7を目指していたけれど、残念ながら6だったという生徒もいました。概ね結果には満足しているようです。(満足している生徒が連絡をくれるのでしょうが・・・)

◇今年のIB最終試験は、新しいIB Languageになって初めての試験でしたから、傾向などの変化が気になりましたが、Paper 2の設問数が少し減った以外には大きな変化はなかったようです。

「現代語訳 義経記」 高木卓訳

◇先日の連休に鞍馬寺に行き、無性に義経の本が読みたくなりました。弁慶との出会いにまつわるエピソードや、頼朝に追われる身となって平泉に下ることなど、ところどころしか記憶になく、しかもうろ覚えだったので、この際しっかり読んでおこうと思って現代語訳を購入しました。

◇アマゾンで届いた本は、予想以上の分厚さだったので、正直怯みましたが、読み始めたら、これが止まらない面白さ。久しぶりに本を読みながら道を歩きました。

◇もちろんこのストーリーは伝説であり、史実かどうか分からない部分が多いですが、冒険物語の傑作であることは間違いないでしょう。日本にこういう冒険物語があったのですね。ドン・キホーテやハックルベリーフィン、海底二万里といった、西洋文学では確固たる位置を占めている冒険物語が、日本にはないのでは・・・という先入観を持っていましたが、考えを改めます。日本文学はやはりすごい。

IB Japanese おくのほそ道

◇「海外生に古典は無理」と考えているとしたら、それは日本の国語教育に毒されているかもしれません。IB Japaneseでは、選択する作品に縛りがあり、ほぼすべての生徒が何らかの古典を選択することになります。ただしIBのLanguage Guideには「原文で読め」という縛りはありません。

96条改正に関する論議

◇憲法学者の石川健治氏が、96条改正案についての意見を朝日新聞に寄稿しています。

96条改正という「革命」

◇理由があってハードルを高くしている改正手続きについて、ハードルが高い(手間がかかる)から低く変えてしまえと言わんばかりの改正案の暴論ぶりを丁寧に解説してくれています。

◇権力を縛る装置は厳重であればあるほど、国民にとってはよいことであるはずです。問題は、「その厳重さが原因で物事が先に進まない」といった「議論のすり替え」がなされても、我々は気づかないでいることがあるということです。それは、頭の良し悪しとか怠慢とかいうことではなく、忙しい毎日を送っている以上、やむを得ないことです(ダニエル・カーネマンはそのような思考を「システム 1」と名付け、人間の判断の合理性を支えていると「ファスト&スロー」の中で述べています)。

◇憲法学者のような専門家にとっては、石川氏の主張は、当然の理屈かもしれませんが、それをきちんと表現し、国民に知らせていくことは、専門家の責務でしょう。その意味で、こういった論考は、非常に重要であると言えるのではないでしょうか。

「京都の寺社505を歩く」 槇野修, 山折哲雄 著

◇京都を訪れています。

 

◇幾つもの時代が重層しているこの古都を楽しむためには、豊富な歴史的知識か、優れたガイドが必要になります。今回私が頼ったのがこの本。Kindle版が出ているのが嬉しいですね。

 

◇ガイドブックがなければ決して立ち寄らなかったであろうお寺にも足を伸ばす気になります。そういった寺社は、観光客がほとんどいないので、ゆっくりとその佇まいを味わうことができます。いわゆる観光名所も、見どころや建造の歴史などが解説されていて、列を待つ間に知識を入れることができて重宝します。